前回は貧乏暇なしと労働集約型ビジネスの難しさを話しました。
今回の題材は、それを切り替える切っ掛けはなんであったのか?です。
起業から11年でなんとか結婚できました。その時に女房子供を食わしてゆくには、今の手法では問題があると認識。
そこで利益について真剣に考えるようになりました。
そうなると、それまでのぬるま湯状態で作業を続けてきた従業員から反発が生まれるようになりました。従業員に対する接し方や指示も変わったのだと思います。
その状況に嫌気がさした友人がまず退職しました。そこで人手不足に陥った私はアルバイトを二人補充します。
一人は整備士学校に通う18歳の若者。もう一人は大学に通う22歳の子でした。この二人は非常に有能で実務型で作業に秀でた前者の18歳。
作業もできるが非常に頭の良い22歳の若者。この二人のおかげで大きく変われたと思います。
一日の作業を極力時間内に終わらせるという、当たり前の事ですが意外にこれを実行できる人間は少数です。そして彼ら二人はそれを当たり前と捉えていました。
意外に言われた事をそのまま実行するのは難しい事です。当然、こちらの考える100%を達成して欲しいという意味ではなく、言葉が意味する内容をそのまま実行するという、額面通りの意味です。
有能な人材とはこちらの考え以上の行動をしてくれます。気が利くとも言えますし、とにかくこちは楽ができます。そうなるように育てたとも言えますが、最初から違うと感じました。
前者の二人は就職できなかったり、しなかったりと問題を抱えていたのだと思います。その内の一人が自分で次のような事を言いました。
「まともじゃない人間を雇っているのだから仕方ない」と。言い得て妙。というか自分の事でしょ思いましたが、膝を打つ思いでした。
その時期に色々と情報を入れて学んだのですが、人間の能力は育てて伸びる部分はありますが、生まれ持った素質がかなり重要なようです。
先天性と後天性の両者において、残念ながら前者はどうにもなりませんし、それが著しく劣っていれば、中小企業ではなかなか人材として花を開かせることが難しいと思います。
大企業なら単機能的な一つの飛び抜けた能力があれば、人材を生かせる場も用意できますが、零細企業では一人何役もこなす必要があり、臨機応変さに欠ける人を雇うのはなかなか難しいですし、当時の私にはその器量がありませんでした。
何が言いたいのかと言うと「頭の良い人を使えば自分が楽をできる」。
その楽をして空いた時間に未来の利益(売上)をどのように構築するか考えてゆく。単価の低い作業を取り続けると頭の良い人材は雇えない(その時はアルバイトとして雇用)から、単価を上げて頭を使う仕事に切り替えなければならない。
であるならば労働集約型の商売は弁護士や医師などの特殊な業種でなければ、天井が決まっているので何かを切り替える必要があると身を持って理解できました。
自分が変わろうともがいていた時期ではありましたが、偶然から雇い入れた人材のお陰で光明が差し道が開けたのです。
今回のまとめ
零細企業において、労働集約型の商売では大きな利益は見込めないし、すべきでもない。狙うのは頭を使った高収益な商売である。
常に学習し、自社の上限を引き上げておかなければ有能な人材は来てくれないし、来ても直ぐにいなくなります。