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23歳で起業に至った経緯、なんとか20年目を迎えました。

 なぜ独立したのか?あまり話す機会のない話題です。

 このブログでは極力、結論から話すようにします。自分の仕事を持った一番の理由は「これなら日銭くらいは稼げそうだ」に尽きます。

 二輪車、四輪車を問わずダンパー(ショックアブソーバー、サスペンション、懸架装置などと呼ばれます)は参入障壁が高く、誰にでも簡単に入れる業界ではありません。一年弱の時間をかけ情報収集を行い、基礎技術を身につけました。
 その時の情報量と技術力は今にして思えば「素人に毛の生えた」と言った程度でした。それでもそこに勝機を見出し、これなら食って行けるとの勘が当たり、いまでも何とか商売になっている訳です。

 しかし想定していたメーカーの依頼が入らず(SHOWAというメーカーを狙っていたのに、OHLINSが一番最初の依頼でした)、最初から困難の連続です。それを断れば困難からは逃れられますが、お金は手元に入りません。そこで友人をたよりなんとか工具や消耗品を手に入れられました。

 お客様から頂いた金額が3万円強だったのに、特殊工具や部品代で4万円以上の出費となりました。しかし、ここで言える事は「仕事は取れた」という点につきます。
 商売で一番難しいのは集客、新規客の獲得、そして継続です。お客様からの依頼が絶えなければ生活はできます。その意味では早い段階から依頼があったのは良い兆候でした。

 最後のまとめですが、参入障壁が高いということは、入り込めればその分だけ優位性を確保しやすいため、もし可能ならば何とかするのが吉です。
 「それができれば困らないよ」と言われたらそれまでですが、また違った見方も可能です。それは特別に高い技術力でなくとも、困っている人を助ければそれだけで価値が生まれ自分一人が生きて行ける程度には稼げるという事です。

 当社の初期の技術力は今と比較すれば、驚くほど低い水準です。それでも喜んで頂けました。ですから、障壁が無い業界でも見方を変えて「自分には楽にこなせるが、大半の人は苦労している」事を見つけ出せれば、それが勝機だと思いますので、自分の能力をもう一度見返してみてはいかがでしょうか。

 次回は起業初期における新規客の獲得における失敗と成功についてです。